日々妄言

妄言です。生暖かく見守ってください。

企業のクソの流れ

トトメス様の記事を見て思った

http://www.thutmosev.com/archives/75305590.html

 

需要増加→新規参入企業増加→供給過多→競争激化→ブラック化→行政指導→価格高騰→沈静化

結局は企業は時代の流れに翻弄される

それを万全で乗り越えられる経営者などいるだろうか

否、彼らも人間、経験してないこと、知識が無いことを上手くできないし、あっても容易いことじゃない

 

ブラックも流れの中の一部分でしかない

 

何故、理不尽上司、理不尽社長がいなくならないか

結論から言えば理不尽上司、理不尽社長を通せば「低コスト」、「高品質」、「早い」を実現出来るから。

 

依頼側つまりお客は「低コスト」、「高品質」、「早い」を実現して貰えればそれで良い。

どんな綺麗事を並べようが依頼先社員や依頼先の企業がどうなっても「低コスト」、「高品質」、「早い」物を提供してくれればそれでいい。(勿論長期的に見る脳があれば相手が潰れれば自分が困る場合があるので多少加味できる)

例えば格安チェーン店で「低コスト」、「高品質」、「早い」を提供しているなら個人で利用するだろう。働いている社員がどうなるかなんて利用者は想像しにくい。

 

理不尽上司、理不尽社長はお客からみれば社員から搾取してくれる都合の良い存在だ。

いくら仕事が出来て信頼のある上司、社長がいる企業があっても当然、理不尽上司、理不尽社長の企業の「低コスト」、「高品質」、「早い」には敵わない。

(一般的に考えて)お客は一番「低コスト」、「高品質」、「早い」が揃う企業に依頼するので、当然、理不尽上司、理不尽社長の企業に仕事を依頼するわけだ。

理不尽上司、理不尽社長も社員から搾取すれば自分たちも(特に金銭面で)いい思いができる。

このお客と理不尽上司、理不尽社長の利害一致の関係、いわゆる蜜月の関係が崩れない限り理不尽上司、理不尽社長は存在し続ける事になる。

 

理不尽上司を自分の経験でいえば基本怒鳴り散らすだけで一人ではロクな仕事が出来ない(パソコンがまともに使えない)ような人がいた。

その人物は過去社長で現在は1人社長で従業員を1人雇い、辞められを繰り返していた。

しかしそこの社長(企業)には仕事がそこそこ来る。

何故なら管理者(上司、社長)が理不尽で社員を使い潰せるので他社より「低コスト」、「高品質」、「早い」が秀でてるからだ。

 

ここまで来て理不尽上司、理不尽社長の企業は長続きしないと思うことだろう。つまり社員が居着かない、ブラックな噂が広がるなどで企業の継続が困難になるわけだ。

 

しかし、そういった企業はいくらでも現れ消えていく。消えるがまた新たに出続けるから結果的になくならない。社員も職に困ったあげく理不尽上司、理不尽社長のブラック企業に行き着いたり、ブラック企業を立ち上げる始末だ。

 

今後も人が社会生活を営む限り理不尽上司、理不尽社長無くなる事はない。なくなったとしてもそれに変わる何がが現れるだろう。(要は理不尽と権力を持つ存在)

 

自分が搾取されない為にはどうすれば良いのか。

まず、自分が何もしないで誰かが助けてくれる事は期待しない。(誰かが自分の為に何かしてくれると思うのは願望でしかない)

1.少なくとも友達、家族など気兼ねなく話せる人に漏らす事。何もしないよりかは遥かにいい。

2.可能な範囲で出来るだけ距離を置く事。しかし距離を置こうとすると迫って来るので、悟られない程度に。

3.理不尽上司、社長のテリトリーを探る事。大概の場合は理不尽上司、社長には権力を発揮できる範囲がある。理不尽上司なら自部署内、社長なら車内。前の部分で自分の経験した1人社長は1人を雇い、自分のもつ敷地(会社社内)が基本テリトリーで威張る怒鳴るなどしてくる。物理的に届かないところに移動するとか入らないようにする。

あとは物理的なテリトリーじゃなく契約上のテリトリーがある。それは人によるが期間契約だったり、無期間契約だったりする。しかし日本では全ての個人に職の自由の権利があり、最終的にどんな契約でも切ることが出来る。なのでそのテリトリー(契約内容)を確認して切る算段をつける。

 

4.テリトリーを抜けたあとの事を準備する。

少なくとも生活の一部、収入などを失うはずだ。次の生活の糧が見つからず理不尽上司、社長に泣きつくようでは本末転倒。相手の思うツボだ。理不尽上司、社長は締め付けを強化するだろう。すなわち抜けられない訳ではないが、一度目より難しく手間がかかる。

簡単に言えば転職先を見つけて置く事。転々でもいいのでバイトで食いつなぐ算段や、お金の蓄えを用意する事。

元の理不尽上司、社長の所に戻るのは上記の理由からオススメしない。

 

と、主題がずれたがこんな所。

まぁ組織がでかくて出世の可能性があれば耐えるのも一つか。しかし一生耐える人生を送るのか。選択するのはあなた(=゚ω゚)ノ

 

 

 

人は自分自身の利害でしか行動出来ない

※書き途中だけど公開

 

私は最近、人の行動について考える事が多い。

 

何故人は間違いを犯すのか。

何故人は悪いことをするのか。しようとするのか。

何故人は良いことをするのか。しようとするのか。

何故人は利己的に行動するのか。しようとするのか。

何故人は協調的に行動するのか。しようとするのか。

 

などと

 

その中でいまたどり着いたのは「人は自分自身の利害でしか行動出来ない」が真理であるという事だ。(まだ言い切れるような段階まで考察した訳ではない)

 

考えに至ったきっかけ

 

きっかけはお葬式であるお坊さんが言っていた言葉である。(ちなみに仏教などの宗教はある種の哲学、心理学の側面を持つと思っている)

 

「良い人とは自分にとって都合のいい人」

「悪い人とは自分にとって都合の悪い人」

 

いくら「あいつは悪い奴だ」と思ってもそれは自分にとって都合の悪いやつ。

具体的には自分の要望に応えてくれない=悪いやつ、となる。

だから例えばAさんに「Bさんは悪い奴だから気をつけろ」と言われても、それはAさんにとってBさんが都合の悪い人であって、自分にとっては悪いと思う人ではない可能性は多いというわけだ。勿論、自分の価値観がAさんに近ければ、Bさんは(自分にとって都合の)悪い奴になるだろう。

 

そしてもう一つ

お坊さんが言っていたのが
「人は損得感情でしか行動出来ない」

 

そんな事は無いんじゃないかと疑問に思ったが、その言葉が妙に頭に残り、日々の生活のなかで自分の行動、人々の行動を見つめてみるとその言葉を否定できる言葉が見つからなかった。

 

結局は人は個人であって、自分主体の利害が有るからこそ物事を考えられる。例えばいくら集団の利を求めて行動しても、その行動の理由は自分の利になるからだ。

逆に集団の害になる行動を取る場合は、その行動の理由は自分の利になるからだ。

 

私は人は自分に害になる行動(もしくは判断)はとらない、もしくは取れないと考えている。

 

例え自分が自己犠牲をいくら行っても、それは自分に利があると判断するためだ。

自己犠牲をする事で満足感を得られるという事は自分の利になる事に他ならない。

 

もう少し単純に話すと、いくら自分に害になる行動を取ったとしても、それは自分の利になると(意識的にでなくても)判断した為であると言える。

何故なら人は自分に利がある理由が無ければ判断、行動が出来ない。

この事はもっと深掘りて考察するべきだと思うので、今後、事例などを貯めていきたい。

 

何故悪い行動が起こるか

 

何故犯罪などの悪い行動が起きてしまうのか。

 

まず人間の行動で悪い事とは何なのか。

それは2人以上の人が関わる事で起こる。

世界の中で1人だけ存在していて何をしようが勝手である。

しかし2人以上の人が関わる場合は様々な利害関係が生まれてくる。

 

 

一つは行動した人が損得感情で自分の利に叶うと判断してしまったからだろう。

 

現在は法律も整備され、一般に犯罪を犯すと罰せられ、損得感情で自分の利にならないと判断できるために犯罪が抑制されている。

 

 

 

 

以下メモ

偽善という言葉もあるが、これも人と人との利害の行き違いに過ぎないと考える事が出来る。

Aさんが意識的に善を行い、Bさんが善と捉えるか

Aさんが意識的に偽善と認識して偽善を行い、Bさんが善と捉えるか

 

 

地獄への道は善意で舗装されている

この言葉は人の善意が必ずいい結果をもたらす訳ではないということ。むしろ本人が善意だという意識の元、まわりも善意だと考えてしまっているからこそ地獄への道を作りやすい。

この善意も行動した人(もしくは人々)にとって利であるばかりで、その他の人に害をもたらす、一部の人の自分の為の行動と言える。

 

よく考えてみて欲しい

「利己的だ」「自己中だ」とうったえる人は

自分自身の利が達成できない為、相手を非難するのだ

つまりそのひとが利己的、自己中であると言える

また、協調を訴える集団は、その協調によって利をえる人たちの集団である

本を正せば個人と個人の利害の違いに過ぎない

 

メディアの怠慢は国民の怠慢

ふと思った事

 

メディアは購読者が目を惹くような記事を書いて、取得部数を増やそうとする。

わざと一部のワードだけ抜き出したり、拡大解釈したり。

しかし、そんな記事を読んで過剰に反応する人も人なのだろう。

 

戦時中にはメディアが戦争を煽ったとか、いまのメディアはバッシングが酷すぎる、と言うのを訴えてる人がいる。

でも、大多数の人はそれを見て同調してしまっているのだ。

 

もちろん、メディアによる世論誘導性も考えられ、その効果を心理学的には「社会的証明」と言われる。

単純に言うと、「みんなそうだからそうだ」と思ってしまう心理。人は昔から社会的に行動してきた。「協調性の大切さ」と「多数の意見は正しいことが多い」というのが、生存率を高くした経験があるからだ。

特にアジアでは協調性が重要だったようで「みんなが〜」「常識」的な社会的証明に滅法弱い。

社会的証明の力は強力で理解していても、いつのまにか釣られてしまう。

 

タイトルでは「メディアの怠慢は国民の怠慢」と書いたが、社会的証明により国民はメディアの情報を鵜呑みにし、メディアはその感情に響く情報を流すという悪循環なのかもしれない。

 

人、一人一人が社会的証明の効果を理解して、冷静に考えれば少しは改善されるかもしれない。

でもそれに期待は出来ない事は歴史が証明している。社会的証明を理解している人は普段は協調する事を大切にして、社会的証明によって組織が間違った方向に向かう時は巻き込まれないように動くしかない。

経済の分離 四権分立

現在の権力は三権分立として立法・行政・司法である。

今回はここに「経済」を加えられないかと考えてみた。

 

何故経済を一つの権力とするか

何故に経済を一つの権力と位置付けるか考えたのは、最近の世界情勢で経済成長により「経済」が政治などの権力に大いに影響を持つ様になってきたと”現実”を感じたから。

経済の歴史は紙幣や貨幣を使い始めた頃から急に発展してきたと思う。それは過去100〜150年の間に急速に。(学者じゃないんでちゃんと検証してないです)

立法・行政・司法も最初から大きな権力では無かっただろう。

 

そして経済も着々と成長し、いまや一企業がグローバル企業として一国を相手どるまでになっている。(TPPとか、貿易条約で)

 

権力の不健全(バランスがわるい)ときは症状として社会問題が出てくると考える。(検証してないです)

それは先進国での格差などの社会問題で現れてるのではないかと。

 

漠然としてますがこんな感じ。

 

もし社会問題が拡大したら大規模な戦争が起こるのかも。戦争は人類の営みの一つなのかもね。

 

戦争に負けた国は既存の権力が滅び栄える。日本とドイツもそれですね。

 

日本での組織の硬直化

日本の社会問題として人材派遣が非常に多い。

そして格差が広がっている現状がある。

 

この状況を生んでいる原因の一つに正規雇用と言われる法律上の制約がある事が挙げられる。

 

これは高度経済成長の時に上手くいっていたものの、現状に合わなくなっても何時迄も残っている負の遺産とみれそうだ。

 

今の所思いつきなんだけど、その構造をここに書いてみる。

 

まず、派遣者を流動層と位置づけ、経営者と正社員を固定層と位置づける。

 

一部の人がキャリアアップしていく構造

自分の経験上、ある程度の権力を持ち、やりたい放題やっている人がキャリアアップする現状、仕組みが企業に蔓延していると感じる。

 

固定層と位置づけた管理的責任と権力を持った経営者と正社員は流動層を使い、上手くいった功績を自分の功績にしてキャリアアップを重ね、上手くいかなかった責任は非正規の流動層を切る事により責任逃れをする構造だ。

 

一番の責任は経営責任者だが、上記構造が成り立ってしまうには経営者にもメリットがあるからで、低コストで成功だけを集める事が出来るからだ。

 

要するにしわ寄せを大いに食らうのは流動層で、もはや奴隷化していると言っても過言ではないかもしれない。

 

また、正規雇用で残る人の中には行動に出れば切るに切れない事を見据えて、制度を悪用している人が残りやすいとも考えられる。

良く言えばそれだけ行動力があり、能力があると言えるが。

 

こういった構造をなくしていくために自分たちが出来る事は、非正規の雇用を軽く見て採用する企業に近づかない事。出来るだけ利用しない事。

小さくても雇用差別が見られない企業で働く事。能力や資本がある人は雇用差別の無い企業を作っていく事。

 

私達の地味な行動で問題のある企業は現在の東芝の様に消滅していくだろう。

 

(上記内容は思いつきで十分に検討してません。沢山のコメントで沢山の人が議論してくれたらうれしい)