日々妄言

妄言です。生暖かく見守ってください。

人は自分自身の利害でしか行動出来ない

※書き途中だけど公開

 

私は最近、人の行動について考える事が多い。

 

何故人は間違いを犯すのか。

何故人は悪いことをするのか。しようとするのか。

何故人は良いことをするのか。しようとするのか。

何故人は利己的に行動するのか。しようとするのか。

何故人は協調的に行動するのか。しようとするのか。

 

などと

 

その中でいまたどり着いたのは「人は自分自身の利害でしか行動出来ない」が真理であるという事だ。(まだ言い切れるような段階まで考察した訳ではない)

 

考えに至ったきっかけ

 

きっかけはお葬式であるお坊さんが言っていた言葉である。(ちなみに仏教などの宗教はある種の哲学、心理学の側面を持つと思っている)

 

「良い人とは自分にとって都合のいい人」

「悪い人とは自分にとって都合の悪い人」

 

いくら「あいつは悪い奴だ」と思ってもそれは自分にとって都合の悪いやつ。

具体的には自分の要望に応えてくれない=悪いやつ、となる。

だから例えばAさんに「Bさんは悪い奴だから気をつけろ」と言われても、それはAさんにとってBさんが都合の悪い人であって、自分にとっては悪いと思う人ではない可能性は多いというわけだ。勿論、自分の価値観がAさんに近ければ、Bさんは(自分にとって都合の)悪い奴になるだろう。

 

そしてもう一つ

お坊さんが言っていたのが
「人は損得感情でしか行動出来ない」

 

そんな事は無いんじゃないかと疑問に思ったが、その言葉が妙に頭に残り、日々の生活のなかで自分の行動、人々の行動を見つめてみるとその言葉を否定できる言葉が見つからなかった。

 

結局は人は個人であって、自分主体の利害が有るからこそ物事を考えられる。例えばいくら集団の利を求めて行動しても、その行動の理由は自分の利になるからだ。

逆に集団の害になる行動を取る場合は、その行動の理由は自分の利になるからだ。

 

私は人は自分に害になる行動(もしくは判断)はとらない、もしくは取れないと考えている。

 

例え自分が自己犠牲をいくら行っても、それは自分に利があると判断するためだ。

自己犠牲をする事で満足感を得られるという事は自分の利になる事に他ならない。

 

もう少し単純に話すと、いくら自分に害になる行動を取ったとしても、それは自分の利になると(意識的にでなくても)判断した為であると言える。

何故なら人は自分に利がある理由が無ければ判断、行動が出来ない。

この事はもっと深掘りて考察するべきだと思うので、今後、事例などを貯めていきたい。

 

何故悪い行動が起こるか

 

何故犯罪などの悪い行動が起きてしまうのか。

 

まず人間の行動で悪い事とは何なのか。

それは2人以上の人が関わる事で起こる。

世界の中で1人だけ存在していて何をしようが勝手である。

しかし2人以上の人が関わる場合は様々な利害関係が生まれてくる。

 

 

一つは行動した人が損得感情で自分の利に叶うと判断してしまったからだろう。

 

現在は法律も整備され、一般に犯罪を犯すと罰せられ、損得感情で自分の利にならないと判断できるために犯罪が抑制されている。

 

 

 

 

以下メモ

偽善という言葉もあるが、これも人と人との利害の行き違いに過ぎないと考える事が出来る。

Aさんが意識的に善を行い、Bさんが善と捉えるか

Aさんが意識的に偽善と認識して偽善を行い、Bさんが善と捉えるか

 

 

地獄への道は善意で舗装されている

この言葉は人の善意が必ずいい結果をもたらす訳ではないということ。むしろ本人が善意だという意識の元、まわりも善意だと考えてしまっているからこそ地獄への道を作りやすい。

この善意も行動した人(もしくは人々)にとって利であるばかりで、その他の人に害をもたらす、一部の人の自分の為の行動と言える。

 

よく考えてみて欲しい

「利己的だ」「自己中だ」とうったえる人は

自分自身の利が達成できない為、相手を非難するのだ

つまりそのひとが利己的、自己中であると言える

また、協調を訴える集団は、その協調によって利をえる人たちの集団である

本を正せば個人と個人の利害の違いに過ぎない